『継続は力なり』は本当なのか?

『継続は力なり』
誰しも耳にしたことのある言葉ですよね。

今さらながら、この言葉が何を意味しているのか?
について考えていました。

「継続は力なり」は一般的には
「あきらめずに辛抱強く続けていれば、
いつか花開く」といったいった意味で使われます。

でも、それって本当なのでしょうか?

そして本当だとして、
「なぜ続けていると花開く」のでしょうか?

まずは2番目の問い、
「なぜ続けていると花開くのか?」から考えてみました。

ひとつの仮説として
「いつか追い風が吹いてくるから」が考えられます。

「待てば海路の日和あり」という言葉もあるように
今は辛抱の時という事も確かにあります。

あきらめずに続けていると
いつか「ようやく追い風がきた!」
という状況になる、という事ですね。

でも、こうした外的要因である風頼みでは
あまりにも他力本願ですね。

『継続は力なり』の本質とは言えないと思います。
 

別の観点で
内的要因の仮説を立ててみました。

この時の問いは
「継続が自分にもたらす効果とは?」です。

単純な答としては「習熟度の向上」が考えられます。

続けることによって慣れる。

ミスも減るし、アウトプットの質も向上・安定して
さらに所要時間も短縮される。

要するに「継続によって習熟度が向上して
生産性が上がっていく」という事です。

ただ、注意する必要があるのが
この習熟度向上は単に同じ事を同じように
続ける事でもたらされるものではないという事。

続ける中での失敗や成功を振り返り
そこから次の課題を明確にし
やり方そのものも改善し続けることが重要です。

継続という行為を通して、気づきを得続ける事。

つまり、「気づきの積み重ね」無しでは
習熟度は向上しないと思います。

こうして考えていくと
確かに「あきらめずに辛抱強く続けていれば
いつか花開く」という『継続は力なり』は
正しいように思えてきます。

ここで1番目の問いについても、考えてみました。

本当に「あきらめずに辛抱強く続けていれば、
いつか花開く」のでしょうか?

『継続は力なり』は
ビジネスの世界でよく使われていますが、
僕はこの言葉が、ただ続けるための言い訳に
使われる事も多いと感じています。

例えば、
売れない商品や業績の悪い事業があるとします。

その商品や事業がどう考えても見込みが無い場合、
また規模として続ける事に
あまり意味がない場合であったとしても、
『継続は力なり』の言葉の基に
続けているケースがいくつもあります。

ひょっとすると
あなたの会社でもそうした商品や事業がありませんか?

確かに『継続は力なり』かもしれませんが、
見込みのない商品、意味のない事業でも
「とにかく続ける事が重要だ」
などという事はありえません。

それが赤字を垂れ流しているならなおさらの事。

けれども、会社という組織においては雇用やポスト、
そして対内的・対外的メンツのために
『続けることが目的化』している
モノ・コトを数多く見てきました。

事業という大きな問題以外にも
毎年作る事になっているから作る資料、
たいした成果もないのに儀式的に
毎週開催される会議などもその典型です。

これもまた無駄なコストを費やしています。

なので、僕は『継続は力なり』とあわせて
『撤退の決断は力なり』も組織の中で
説くべきだと考えています。

また、組織だけではなく
個人単位においても間違ったやり方や
効果がいつまでも出ない事を継続するのは
良くないですね。
 

こうした事を考慮すると
1番目の問い「あきらめずに辛抱強く続けていれば、
いつか花開くのか?」に対する答は、
「ケースバイケース」と言わざるを得ないです。

『継続は力なり』とは
使いどころを間違ってしまうと
手段の目的化を招くリスクの高い言葉ですね。
 

今年の5月から始めた
「週4回以上ジムでトレーニングする」
習慣は今も続けられています。
 
現時点で半年続けられて
その効果を実感していますが、
筋トレについては『継続は力なり』
という言葉は間違いないですね。

(一方で、今日の投稿を書いていて
 間違ったやり方で続けないように
 注意が必要だと改めて思いました。)
 
今日はいつも以上に長文になりましたが、
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

名郷根 修

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